2009年12月12日土曜日

長寿


   なばなの里 ベゴニア館





 幸若舞の「敦盛」に「人間五十年下天の内にくらぶれば夢まぼろしのごとくなり一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」とあります。
 昔は医療も医薬も劣っていて、栄養条件も悪い。木綿が普及して布団が用いられるようになるのは江戸時代の中期以降ですから、それまでは一般庶民は何を着て寝ていたのでしょうか。
 百姓は藁の中に潜り込んで寝ていたと言われています。
一般庶民もおそらくは筵のようなものを被って寝ていたのでしょう。
現在と比較すれば生活環境が悪かったので、風邪をひくと肺炎を併発して亡くなる人が多く、50年も生きれば平均寿命を生き抜いたと言えたのでしょう。
 鶴は千年、亀は万年と言われ、長寿の象徴として崇められ吉祥として崇拝されて来ました。そのことに象徴されるように昔は如何に長生きするか。即ち長寿が人々の最高の願いであったわけです。
 今は寿命は80年の時代になり、昔の人達の夢が現実になりました。もうこれ以上の長寿は誰もが願っていないでしょう。
現在のように長寿になりますと、長く生きるということよりも、どういう内容で生きるかという生き方が問われるようになりました。
 長生きできる事はいいことだけど、生きる目的がなくなったり、人のお世話にならなければ生きて行けないようでは、早く死んだ方がよいと考える時代になりました。
 苦しまないで、人の手を煩わせることなく急死したいというのが現在人の最高の願いに変わってしまいました。
長寿が現実化すると長生きすることよりも、如何に楽に死ねるかという死が課題になりました。
 こんなことを言うと問題視されるかもしれませんが、末期のがん患者や認知症で全く判別の出来ない人などを拝見していますと、家族の人達でさえ、もうこれ以上本人も家族も苦しみたくないから逝かせてやって欲しいと願っている人も少なくありません。私もそう思います。
 生きていても苦しいだけの人は、本人か本人で判断の出来ない人は配偶者か家族の者の願出があれば逝かせて上げる法律はできないものでしょうか。
 私ももうこれでいいと思えば簡単に死を自分で選択して、一服飲めば逝ける薬が欲しいと願っている独りです。
寿命も自分で選択させてください。

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