2009年12月4日金曜日

西国33ヵ所巡り


西国23番札所 勝尾寺 千里中央~バスで30分 バス代480円

 夏に書写山に行ったのをきっかけに西国33ヵ所札所巡りを始めました。
昨年脳腫瘍を患い、後遺症によって運転が出来なくなるだろうと考え車を手放しました。バスと電車を利用しての巡礼ですから死ぬまでに回り切れるでしょうか。
 今回は2か所目になりますが、一回目はそれが目的で行ったわけではありませんので、厳密にはこれが初回の巡礼です。勝尾寺に行くことにしました。
 まだ紅葉が見れるかも知れないと思い、勝尾寺からは山中を歩いて箕面の滝まで回って来ました。
 箕面は思った通りに今が盛りと燃えていました。

 札所巡りを始めたのは信仰心によるものではありません。折角ですから御朱印張に御朱印を頂戴していますが、主は観光です。
 主の目的は観光ですが、お寺にお参りしますと気持ちが落ち着いて清々しい気分になり癒されます。これは何故でしょうか。
 お寺にお参りに行って悪いことをしてやろうと思う人はいないでしょう。
悪いことを企んでいるような人は最初からお寺になんかは行きません。
お寺にわざわざ出向いてお参りに行く人間は、特別に信仰心が無くても、神や祖先を敬い感謝する心を持っている人だから、その場に佇むとその人の有する善良な気持ちが心を支配して、清々しい気持ちになるのです。
 そういう現象は関係者に言わせれば神仏の霊力によるものだとおっしゃるとおもうのですが、そうではなく個々の心根の在り方によるものではないでしょうか。
 
 テレビなどではあの世に逝った人の霊と会話するというような、私に言わせれば実に馬鹿馬鹿しいことを、恥ずかしげもなく取り上げてやっています。
 あれは宗教や信仰ではなく好き勝手に占いをしているものでしょう。
当たるも八卦、当たらぬも八卦で当たると信じている人の気持ちがわかりません。世界では宗教戦争が各地で行われています。そういうものは人を惑わし不幸に導いても幸せにはなれないのです。
 
 私たちが生を受けて現実に今この世に存在しています。人生は怒哀ばかりではありません。必ず喜楽も味わっている筈です。喜怒哀楽を経験出来るのは生きているからです。それを思えば生きていることに感謝すべきです。何故なら人は自分の力だけでは絶対に生きて行けないからです。
 その感謝の気持ちを奉げる順序を考えてみれば、先ずは両親でしょう。
そして兄弟姉妹でしょう。そして祖先であり、私たちに生きる糧を与えてくれている偉大なる神々でしょう。そういうものに対して先ず感謝の祈りをすることが信仰の原点ではないでしょうか。
 この世は自分の力で生きているのではありません。それを分かればもっと宗教心を持たなければいけないのではないでしょうか。

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