2009年11月9日月曜日
子供はどう育てるのが理想か
昔は子供は社会からの預かりものと言われ、子供の養育についての指針や概念がありました。
私たちは社会とい人の群れの中で共存し共に支えあっています。
支えあっていると言っても、どんなに力のある人であっても支えている力は微量です。
支えられて生かされていることが真理です。
その道理からすれば、自分の子供といえども少しでも早くに社会に送り出して恩返しをすることが真っ当な考えでしょう。
社会に出て大きく社会貢献した人は、経済的に潤い心の面においても豊かに暮らせる。社会というものはそういう図式で出来あがっていますので、昔のように子供は社会からの預かりものという観念で育てることが、当人にとっても最も益のあるものとなるように思います。
幕末に活躍した吉田松陰は叔父の玉木文之進に教育されました。
玉木文之進は大変厳しい人で、ある時松陰が叔父から殴る蹴るの暴行を受けているのを松陰の母は偶然見かけました。あまりにすさまじい怒り方に母親は思わず出て行って救いの手を差し延べようとしたのですが、ぐーと思い止まって、物陰で泣いていたという逸話があります。
今の親だったら「家の大事な子供に何するねん」ときっと喧嘩になるだろうと思います。
手を差し延べるのは簡単です。しかし子供の成長のためにはぐーと堪える愛の方が大切です。
簡単なことよりも難しい方を選択して子供と接して行かなければいけないのですが、今の親は直ぐに子供を構ってしまいます。
その分子供は根性のない、辛抱や我慢の出来ない、勇気のない子供になってしまいます。
厳しく怒られて恐怖心を抱いたことのある子供、辛くて怖い経験のある子供は人に対して思い遣りのある、そして勇気のある子供に育ちます。
学校でも職場でも陰湿な苛めが蔓延っていますが、苛める子供は自分が怖い経験をしたことがないのです。甘やかされて育っているから他人の苦しみや辛さが理解できない最低の子供に育ってしまいます。
学校や職場はその人の人生を左右する重要な場です。それが苛めによって続けられないということになれば、それは立派な犯罪行為です。
勉強なんか二の次で良い。人の苦しみが理解できない人間は最低です。
それを理解して教育して行くのが親の責任です。親達よ頑張ろう。
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