2010年1月22日金曜日
女の業
親に甲斐性があって親の近くに家を建ててくれるという場合がありますが、そういうのは例外として大抵は妻の近くに新居を構える夫婦が多いのが現実です。
そういう状況でなくても妻の実家には10回行っても夫の実家に行くのは比率で言うと1回ぐらいというのが現実です。子供を設けて苦労して育てても男の子の場合は親にとっては寂しいものです。
孫が出来ますと夫の実家としては昔風に言えば内孫です。
親としては孫の顔を出来ることならば頻繁に見たいと希望しているでしょう。
しかし家には帰ってきません。押しかければ迷惑だろうと思って我慢します。
ところが嫁は始終家に帰りますので、孫も母側のおじいちゃんやおばあちゃんには懐いていますが夫の親の家にはめったに来ませんので、なかなか懐いてくれません。寂しいかぎりです。よくもう諦めていますという言葉を男性の親から聞きます。
どうしてこういう状態になるのか。
男性が不甲斐ないのかそれとも優しいのか。それとも女性が強くて思い遣りに欠けるのかどちらでしょうか。
どちらも自分の親は大切だと思っています。それでも表面的には接し方に大きな差異があるのは事実です。表面だけを見れば女の業が強くて、男性は負けているというよりも、妻の機嫌を損ねないように妻の気持ちに合わせているのかも知れませんが、行動から察すれば女性の思い遣りの無さが目立っています。
男というものは仕事、仕事と仕事にかこつけて自分の行動を正当化しますが、結構普段には自由な時間を使って息抜きをしています。外に出ている夫にはそれが出来るのですが、家にいる妻は子供がいればそれはできません。そのことを男性自身は分かっていますので、休みの時は妻の希望通りにしてやらなければと思うのでしょう。
長いご無沙汰で親はどうしているだろうと心配に思っても、何か特別な事がない限りは休みの日も自分の我を通して親の所に行くという事はできないから、疎遠になってしまうのでしょう。
男は親に孝行をしようと思っても妻に理解がなければなかなかできません。
妻が率先して今日は親元に行きましょうと夫を引っ張って行かなければ実践できないのです。
しかしそういう気の利いた女性は皆無と言ってよいほど少ないです。
それでは女性が薄情で悪いのかと言えば、自己中の男性が増えて自分の楽しみばかりを優先させて妻の苦労を顧みらない男性が増えていますから、妻も馬鹿馬鹿しくて自己中心になっているというところもあります。
そうなってしまった原因はどちらにあるのかを問えば、異口同音に「そりゃ男性や」と女性は言います。
我々の若い時に比べると、知識は豊かになっていますが、心根は水をやり過ぎて根腐れ状態になっています。
今の若い者はなんてよく批判をしますが、そうしてしまったのは私たちですから眺めているしか仕方がありません。
おすすめリンク
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿