2010年1月14日木曜日
成人式
筆談ホステスという実話をドラマ化したものを見ました。
お母さんは娘の耳が悪くなったのは自分の責任だと思い込み娘を大事に大事に育てます。健常者の人に負けないように育てようと懸命に娘を構います。
しかし娘は優しく大事にされて色々と構ってもらっても心が癒える事無く荒んで行くばかりです。
自分がこの先どうなるのか、何処に向かって進んでいけばよいのか、その事が分からないから不安で仕方がないのです。
人生をどう歩んで行けばいいのか分からず、不安で目標のない日々を過ごしていて優しくされても、その優しさに応える事が出来ずに逆に反発という形で生活が荒んで行きます。
成人式で暴力行為や妨害行為を起こす青年達は全くそういう人達ではないでしょうか。
将来に向かって目標を立て進んでいる人は暴力行為というようなものは自分の値打ちを下げるだけですからしません。
どう人生を歩んで行けばよいか、何処に向かって何をすべきかを知らない、人生に目標の無い人は、今が楽しかったらそれでよいと思ってしまいます。
今の楽しさのために人の迷惑を省ず破廉恥な事を平然としてしまうのです。
テレビの主人公も最初は同じであったのですが、ホステスという仕事に就いて自分の存在価値を認められるという喜びを知ってから頑張って成功します。
人は先ず自分です。自分が一番可愛て大切ですから自分の為ばかりを考えます。しかし成長して行く過程で自分の幸せは他者から自分の存在価値を認めてもらう事だという事が分かるようになります。
そういう人生の図式が理解出来るようになれば、人に迷惑を掛ける事もなく良い方向に進んで行きます。
その図式が理解出来ない人は何時までも利己的な人で終わってしまいます。
どんな人でも時が過ぎれば法律上は大人になります。しかし真の大人であるかどうかは己が生かされている存在である事を知っているか否かだと思います。
自分があって世の中があるのではなく世の中があって自分があります。そういう真の大人が成人式の場で妨害行為を起こさないでしょ。子供だからやってしまうのです。それでも自分は子供だとは思っていないでしょね。
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