2010年1月31日日曜日

お茶会にお二人で



 お二人揃ってお母様が関係されているお茶会にご出席されるそうです。
お電話でのお話ではご主人は最初は着流しで出席されるおつもりであったようですが、お茶会に行かれるとお聞きしましたので「袴を穿かれますか」と私が言ったものですから、当日は袴を用意されていました。

 ご主人のお母様はきものがお好きだそうで、現在では珍しく袴も礼盛装用の仙台平と紬の外出用の袴と2点ご用意されていました。
 袴を穿かれる時は、最近では紬の袴を用意されている方は少なく、ほとんどは仙台平ですから「足袋は白色ですよ」と奥さんに言っておきました。
 当日お伺いして玄関に黒緒の草履が用意されていました。それを見て「しまった」うかつなことを言ってしまったと後悔しました。何故ならば黒緒の草履の時は黒足袋だからです。白足袋の時は白緒の草履ですから、仙台平に黒緒の草履は具合悪いなと玄関先で心配をしながらお部屋に通していただきました。
そうすると袴は仙台平と紬のものが容易されていて、足袋も白足袋とグレーの色足袋が用意されていましたので安心すると共に、男性の和装で昨今これだけのものが用意されていることに驚きました。
用意されているお着物は大島紬のアンサンブルでした。大島に仙台平はおかしいので紬の袴を穿いていただき、足袋は白足袋はおかしいのでグレーを履いて頂いてこれで全て約束通りの装いが完成しました。

 お二人がお揃いで着物を着てお茶会にお出かけになる。邪魔くさがらずに億劫がらずに時にはきものでもお召しになって出かける。そういうメリハリのある生活をすることによって生活に膨らみが出来て、豊かな人生になります。
 最近の方はそういうゆとりが無くなってきています。お二人を見習って頂きたいと思いお二人に了解を得て取り上げさせて頂きました。

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動画の着付け

2010年1月28日木曜日

根底を見る



35年間学院長としてきもの学院を運営してきました。
多くの方がお稽古に着てくださいましたが、きちっと出来るようになって辞めて行かれた人は2~3割りも満たないのではないでしょうか。
 そんなことはない、私はお稽古に行って浴衣が着れるようになったとおっしゃる人もおられるかもしれません。
 浴衣だけが着れたらそれでよいという人はそれで着れた事にはなりますが、着物にも洋服と同じく部屋着~普段着~礼盛装とあり、学院にお稽古に来る人は一通りの着付けが出来るようになりたいと希望して来られます。
 また着れるようになったといっても、その出来上がりは「下手」「普通」「上手」とあります。
現在は洋服中心の時代で、日本女性といえども着付が出来なくても恥ずかしいという時代ではありません。
 そんな時代にわざわざお稽古をするのですから、「あなたのきもの姿とても素敵ね」「私もそんな風に着れるようになりたいわ」と人から羨ましがられる御洒落が出来なければ、お稽古する値打ちが半減してしまいます。そのように好感を持ってもらえるような着付けをするには「上手」に出来るようにならなければいけません。
 よく着物を着る機会がないと皆さんおっしゃいますが、着物にも一通りありますので、着物を着る機会がないのではなく、意識的にみなさん着物を着ない時代になったということです。
 現在はおきものをお召しになる時はフォーマルばかりになってしまっているというのが現状です
 それが現実ですから浴衣や街着が着れても、フォーマルを着るときは、人に着せてもらうという事では、着れるようになったことにはなりません。
 着物が着れるという事は一通りの着物を最低でも人前に出て行っても恥ずかしくない程度の出来映えにする。それが出来て初めて着れるようになったのだと、私は着れるという事の定義付けをしています。
そういう観点から言えばお稽古に来ても出来るようになる人は2~3割程度だということです。
 理屈をこねますと着付けぐらいで何を大仰なと反感される人も多いのですが、着付けに限らず何かに取り組んだ場合は、自分が取り組もうとしている根本目的は何か。物事に対する理解と心の整理をきちっとして取り組まなければ、直ぐに挫折してしまいます。
 何故ならばどんなものでも安易な考えで取り組んで成就するような簡単なものはないからです。
辞めて行く大半の人は覚悟と心の整理が出来ていないのです。

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2010年1月25日月曜日

上達の秘訣



先日武庫殿が留袖のタイム着付の動画をYouTubeに掲載してくれました。
留袖を長襦袢から着せて2分47秒で出来上がりました。
寒かったので指がかじかんで思うように動かなかったわりには上出来でしょう。
 嘗て弟子であった寿々さんが協力してくれたからですが、ギネスに載れば今だったら取り上げられるでしょう。
 
 家で着付をするときは3~5分で着なければいけないという事はありませんので、お稽古をされる方は何故早く着なければいけないのか理解が出来ません。そんなに早く着るよりも、もっと時間を掛けて丁寧に着た方が上達をするのではないかと思っておられる人の方が多いのです。

 職人というものは頭で考えて進めているうちは一人前ではありません。
意識をしなくても自然に手が動いて進めていける。それでいて要所はきちっと確認できている。そういう動きが出来れば自と早く出来上がります。
 仕事が早いという事はそれだけ腕があるから出来るわけです。早いと技能力は表裏一体ですから、早く出来るように訓練をすることが上達の一番の早道なのです。

 一芸に秀でた人は万事に優れていると言います。一芸に秀でた人はそういう道理をよく分かっていますので、何に取り組んでも腕を磨く事に専念します。道理に則って頑張るから秀でているといわれるのです。頑張りもしないで上達した人は絶対にいません。

 タイム着付に勝る上達の早道はありませんので、私が学院運営を行っているときは積極的に取り入れていました。そのお陰で多くの人が腕を磨いて今も各地で活躍しています。嬉しい限りですがその半面タイム着付のお稽古が嫌さに多くの人が辞めて行きました。
意を尽くしてタイム着付の大切さを説いたのですが心に届かなかったのです。
 
 きものが無くても。着付が出来なくても生活に何の支障もありませんので、自分の意に沿わないと簡単に辞めて行きます。
 そういう人でも子供を捕まえて「頑張らなければだめよ」、「何でも確り考えて行動しなさい」と偉そうに説教していると思いますが、自分の事になると全くだめという人が少なくありません。
 平和で豊かすぎるとそういう人が増えます。これからは厳しくなりますので確りとした考えの人が増えるのではと期待しています。 

動画の着付 街着・留袖 バックの音は馬鹿が歌っています
GoogleでYouTubeを開く「100made」を入力して検索

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2010年1月22日金曜日

女の業



親に甲斐性があって親の近くに家を建ててくれるという場合がありますが、そういうのは例外として大抵は妻の近くに新居を構える夫婦が多いのが現実です。
 そういう状況でなくても妻の実家には10回行っても夫の実家に行くのは比率で言うと1回ぐらいというのが現実です。子供を設けて苦労して育てても男の子の場合は親にとっては寂しいものです。
 孫が出来ますと夫の実家としては昔風に言えば内孫です。
親としては孫の顔を出来ることならば頻繁に見たいと希望しているでしょう。
しかし家には帰ってきません。押しかければ迷惑だろうと思って我慢します。
ところが嫁は始終家に帰りますので、孫も母側のおじいちゃんやおばあちゃんには懐いていますが夫の親の家にはめったに来ませんので、なかなか懐いてくれません。寂しいかぎりです。よくもう諦めていますという言葉を男性の親から聞きます。
 どうしてこういう状態になるのか。
男性が不甲斐ないのかそれとも優しいのか。それとも女性が強くて思い遣りに欠けるのかどちらでしょうか。

 どちらも自分の親は大切だと思っています。それでも表面的には接し方に大きな差異があるのは事実です。表面だけを見れば女の業が強くて、男性は負けているというよりも、妻の機嫌を損ねないように妻の気持ちに合わせているのかも知れませんが、行動から察すれば女性の思い遣りの無さが目立っています。
 男というものは仕事、仕事と仕事にかこつけて自分の行動を正当化しますが、結構普段には自由な時間を使って息抜きをしています。外に出ている夫にはそれが出来るのですが、家にいる妻は子供がいればそれはできません。そのことを男性自身は分かっていますので、休みの時は妻の希望通りにしてやらなければと思うのでしょう。
 長いご無沙汰で親はどうしているだろうと心配に思っても、何か特別な事がない限りは休みの日も自分の我を通して親の所に行くという事はできないから、疎遠になってしまうのでしょう。

 男は親に孝行をしようと思っても妻に理解がなければなかなかできません。
妻が率先して今日は親元に行きましょうと夫を引っ張って行かなければ実践できないのです。
 しかしそういう気の利いた女性は皆無と言ってよいほど少ないです。
それでは女性が薄情で悪いのかと言えば、自己中の男性が増えて自分の楽しみばかりを優先させて妻の苦労を顧みらない男性が増えていますから、妻も馬鹿馬鹿しくて自己中心になっているというところもあります。
 そうなってしまった原因はどちらにあるのかを問えば、異口同音に「そりゃ男性や」と女性は言います。
 我々の若い時に比べると、知識は豊かになっていますが、心根は水をやり過ぎて根腐れ状態になっています。
 今の若い者はなんてよく批判をしますが、そうしてしまったのは私たちですから眺めているしか仕方がありません。

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2010年1月20日水曜日

家族の在り方


寒いけど 春告げ梅が 染めはじめ

 日本のサラリーマン層はアメリカの様に男性が経済を握っているという形式ではなく、男は小遣いだけを貰って後の事は妻に委ねるという人が圧倒的ではないでしょうか。
 私もそうで離別する時はお金を隠されて一銭も取れず裸一貫で家を出ました。結婚をして経済を妻に委ねますと男は働き蜂で女王蜂は妻の方で、特に子供が出来ますと家の主導権は妻の方に移っていきます。
 大黒柱は妻と言っていいでしょう。経済的なことは妻に許しを得なければ男はどうしようもありません。十分な稼ぎがあれば男の独断で多少のお金は使えますが家賃を払ったりローンを払ったりしていれば若いうちは経済的には目一杯というのが大方の実情ではないでしょうか。
 そういう実情の中で兄弟や親戚の者から借金の申し込みを受けた時は大変困ります。
 特に兄弟の場合は心情としては何とかしてやりたいのですが自分の小遣いの内だけではどうにもなりませんので、妻の協力が必要です。妻から協力を得たとしてもそれ以降は必ずと言っていいほど兄弟との交流はなくなってしまいます。
 この世の中には血の分けた親兄弟、親族というものはほんの一握りしかいません。出来る事ならば親兄弟は勿論のこと親族とも仲良くしていく事が望ましいのです。仲良くして行く為の一番の要因は各々が頑張って精一杯目一杯の生活をしているのですからお金のむしんだけは絶対にしないという事です。

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2010年1月16日土曜日

震災の思い出


 年迎え 開運よりも 無事祈り

 大阪で開校したきもの学院を女房に譲渡し、別居を始めて新たに甲子園できもの教室を始めました。
 お金を一銭も貰わずに出ましたので裸一貫からの再出発です。
テナントを借りて常設の教室を持つということができませんので、今日はここで明日はあちらの教室でという時間貸しの場所を借りて始めました。
 時間貸しの教室は常設の教室よりも経費が掛るのですがお金の無い者には仕方がありません。
 そういう形で始めて、なんとかお金を貯めて甲子園筋に常設の教室を設けました。
 平成11年の12月からの入居契約です。12月になって来年度から新教室でお稽古が出来るように畳を引いて内装も整え正月を迎えました。
 新年会を終え、忙しい成人式も終わって、「さぁー今週から頑張るぞ」と張り切っていた矢先の震災でした。

 多くの人が亡くなられました。そういう人達と比べれば家財道具が少し壊れた程度の被害で済んでいますので、贅沢はいえませんが、状況が状況だけにこたえました。
 翌日に生徒さんの家を自転車で神戸や芦屋、苦楽園まで尋ねましたが、中にはお母さんが亡くなった方もおられて、慰めの言葉もありませんでした。
芦屋や苦楽園の大きな家に住んでおられる方は家は無事のようでしたが、どこかに非難されて連絡がつきませんでした。
 そんな状況でしたがその週は休んで翌週からお稽古を始めましたが、来られたのは3人だけでした。
教室開校にお金を使い果たし、生活は月々に入って来る収入でやって行くつもりでしたのでまいりました。
 急遽つなぎの融資をしてもらいなんとか生活は維持して行くことができました。

 元の状態に戻るのには3年かかりました。その間は耐えて忍んで頑張りましたが、追い討ちの災難がやって来ました。
 借りていたビルが私達が入る前に抵当に入っていたのです。本来は入居の時に説明をしなければいけないのですが家主が不動産やだったものですから隠して説明しなかったのです。
 友達に弁護士がいますので相談をしたのですが、法律的には勝てないということでした。
新しい家主から引き渡しを通告され、結果的には新規に契約を交わすという事でその場で営業は出来る事にはなったのですが、返ってこない敷金と新規の敷金で500万円ほど必要になりました。
 お金のない私には大変な苦難でした。私は私なりに震災で苦労をしましたがお亡くなりに成られた方には改めてお悔み申し上げます。

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2010年1月14日木曜日

成人式



  筆談ホステスという実話をドラマ化したものを見ました。
お母さんは娘の耳が悪くなったのは自分の責任だと思い込み娘を大事に大事に育てます。健常者の人に負けないように育てようと懸命に娘を構います。
しかし娘は優しく大事にされて色々と構ってもらっても心が癒える事無く荒んで行くばかりです。
 自分がこの先どうなるのか、何処に向かって進んでいけばよいのか、その事が分からないから不安で仕方がないのです。
 人生をどう歩んで行けばいいのか分からず、不安で目標のない日々を過ごしていて優しくされても、その優しさに応える事が出来ずに逆に反発という形で生活が荒んで行きます。

 成人式で暴力行為や妨害行為を起こす青年達は全くそういう人達ではないでしょうか。
将来に向かって目標を立て進んでいる人は暴力行為というようなものは自分の値打ちを下げるだけですからしません。
 どう人生を歩んで行けばよいか、何処に向かって何をすべきかを知らない、人生に目標の無い人は、今が楽しかったらそれでよいと思ってしまいます。
 今の楽しさのために人の迷惑を省ず破廉恥な事を平然としてしまうのです。
 
テレビの主人公も最初は同じであったのですが、ホステスという仕事に就いて自分の存在価値を認められるという喜びを知ってから頑張って成功します。
 人は先ず自分です。自分が一番可愛て大切ですから自分の為ばかりを考えます。しかし成長して行く過程で自分の幸せは他者から自分の存在価値を認めてもらう事だという事が分かるようになります。
 そういう人生の図式が理解出来るようになれば、人に迷惑を掛ける事もなく良い方向に進んで行きます。
 その図式が理解出来ない人は何時までも利己的な人で終わってしまいます。

どんな人でも時が過ぎれば法律上は大人になります。しかし真の大人であるかどうかは己が生かされている存在である事を知っているか否かだと思います。
 自分があって世の中があるのではなく世の中があって自分があります。そういう真の大人が成人式の場で妨害行為を起こさないでしょ。子供だからやってしまうのです。それでも自分は子供だとは思っていないでしょね。

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2010年1月11日月曜日

団欒とエゴ


     正月は 炬燵のまわり 花が咲く
 
 

炬燵の周りには沢山の花が咲いています。
そんな中に少し色褪せた老いの花が招待されて添えられています。
お正月には子供たち全員が揃って楽しく語らっている姿は見ていて微笑ましくもあり、私にとってはまぶしく羨ましい光景です。
私の家では家族団欒の光景は既に消え去っているからです。
私の所だけでなく、最近は家族全員が集まるという光景は少なくなりつつあります。
普段は各々が仕事に忙殺されてなかなか逢うことが出来ない。せめて正月ぐらいは親元に集まる。
それは苦労をして子供を育てた親に対する感謝であり、神が与えた親の特権という褒美です。
 特別に何もしてやることができなくてもせめてそれくらいの親孝行をするのが人間として常識だと思いますが、最近は親元に行くのは嫌だけど、正月ぐらいは我慢して顔を見せに行かなければ仕方がないだろうと考える人も少なくありません。
そのように考えている人はどんなに繕っても、顔や言動は心の現れですから嫌々義理義理の心は直ぐに分かってしまいます。
分かっていても「来てくれるだけましか」と我慢をして時の過ぎ去るのを待っています。哀れで少し寂しい光景です。
  
 そんな心の親でも自分の子供は賢くて、心優しい人になって欲しいと念じています。
親は子供の心の内は分かっていますが、子供も親の心はお見通しです。
自分の親がおじいちゃんやおばあちゃんの家に行っても喜んでいない。楽しんでいない。むしろ迷惑に思い嫌がっている。
親を大切に思っていない。感謝の気持ちも感じられない。そんな自分の親を見ていて、その子供が良い子に育って欲しいと考えても、それは無理でしょう。
最近はそういう関連性に対して理解の出来ない自己中の人が増えています。
大人は今の子供達はと批判しますが、その子供たちをそのようにしてしまったのはすべて大人なのです。大人の心がすべて投影されていることを忘れてはいけないでしょう。

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2010年1月8日金曜日

可哀想な人


 元旦に彼女の家に彼女の家族が集まり顔合わせの招待をされました。
その日は次女夫婦と私が泊めてもらい夜中までトランプをして遊び、翌日に4人で初詣に行きました。
 成田山の近くに住まいしていますので成田さんに行きました。
中古車ですが車を買った直ぐですから私にとっても都合がよく、車にぶら下げる御守りと虎の置物を買いました。
 次女夫婦も虎の置物を買って4人で車まで帰る途中に70過ぎのおばあさんが私たち4人に近付いて来て、買い物袋を見て「あんたら、そんなものを買っても何の御利益もないで」と言いました。
 年配者ですから逆らう事もしないで無視をして私達は行きましたが「可哀想なおばあさんやね」と皆で話しました。
 神社仏閣に出向いて、その年の干支である置物を買う。それでご利益が頂けるなんて事は考えた事はありません。
 新しい年を迎えて「よし今年も頑張るぞ」という気合入れ、景気付けと初詣に来たことの思い出として買っているだけです。
 人間にとって一番大切なのはメンタル面なのです。
日本には色々な年中行事があり、それを有り難く受け入れて、メリハリのある生活を行い、精神性を高めて前向きに頑張る。そういう生き方をするのが大切です。
 わずかな賽銭と置物を買って運を頂戴しようなんてけちな考えでお参りするわけではありません。
 いい年をしてそんな事も分からず説教がましくものを言う。そういう人はお金だけを生活のベースに考えている可哀想な人ですね。

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2010年1月5日火曜日

初詣は例年金剛山


   金剛の 雪で今年も 身を清め

 今日からいよいよ本格的に仕事始めです。
私も今年も頑張ろうと気合入れに金剛山に初詣に行ってきました。
山頂は1125mで葛木神社と転法輪寺というお寺がございます。
 金剛山は修験者の山で寺の前では1月15日には火祭りが行われ、素足で火渡が行われます。

今年は雪が少なかったのですが、山頂は少し積雪があり、さすがに山頂は冷たく身が引き締まります。
 凛とした霊気漂う山頂を歩きながら葛木神社と転法輪寺に行きますと、
「よし今年も元気で頑張るぞ」という気になり他の神社にお参りをするよりも気合が入りますので例年お正月に行くことにしています。
 この御参りが出来なくなれば私の人生は終わりだと思っています。

 大阪で雪の積もっている所というのは奇異でしょう。
私も最初に行った時は30cmほど積もっていましたので驚きました。
この山はアイゼンが絶対必要です。坂道はアイゼンがなければ滑って滑って昇れません。
 今年は二人で行ったのでアイゼンは一つしかないので片足にだけつけました。馬鹿ですねそのアイゼンをさかさまに付けたものですから、みごとに転んでしまいました。
あくる日には足にみがはいって最悪です。そういうハプニングも楽しい思い出です。
寒いからと家で寝正月では心の栄養にはなりませんものね。幾つになっても落ち着きのない馬鹿野郎ですが、生きている限り青春でやんちゃ心も大切に生きて行きます。

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2010年1月3日日曜日

頑張っておせち作りました



友はお正月でも元旦からスーパーが開いているので特別におせちなどは作らないと言っています。
食べるためなら全くそうですが、おせちは食べるのが目的ではありません。
新年を祝う儀式ですから私は大切にしています。
 20年以上も独り住まいをしていましたが、おせちは毎年作っていました。
今年もささやかで贅沢なものは出来ませんが作りました。
今年は彼女が来て巻き寿司を作ってくれました。やはり女性は手際がいいです。まだ食べていませんがきっと美味しいでしょう。
頂くのが楽しみです。
馬鹿馬鹿しいでしょうがおせち紹介します。
新しい発見です。
雑炊を頂くときにポンズを少し入れて頂くと美味しいですよ。
特にかおりの蔵のゆず三昧がいいです。

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